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メディア論の視角からグールドを再評価する
浅田彰
メディア論の視角からグールドを再評価する | 浅田彰
メディア論の視角からグールドを再評価する
浅田彰
グレン・グールドは、そのつど一度限りのコンサートという形式では純粋形態の音楽をリスナーに届けることができない、むしろ劇場のホットな盛り上がりがクールであるべき音楽の構造を歪めてしまうと考えて、1964年を最後にコンサートを放棄し、スタジオに籠って電子メディアを通じての発信に専念するようになった。

実のところ、グールドが最初からコンサートに否定的だったかどうかは微妙な問題だ。たとえば1957年に西側の音楽家として初めてソヴィエト連邦を訪れ、バッハ、そしてスターリン主義下では禁じられていた現代音楽を弾いて衝撃を与えた伝説的なコンサートは、東側の聴衆にとってと同様、グールドにとっても忘れがたい体験だったのではないか。しかし、カナダ人グールドに露払いをさせたあと、翌年アメリカ人クライバーンがモスクワでチャイコフスキー国際コンクールに優勝し、音楽の冷戦に勝利した英雄でもあるかのように凱旋する姿を見て、その高揚も冷めていったのだろう。

社会の雑音を避けて電子の子宮の中に引き籠り、電子メディアを通じてリスナーに直接音楽を届ける道を選んだグールド。そのグールドが、同じカナダからメディア論の新しい波をリードしたマクルーハンと近い関係にあったことは、興味深い偶然だ。ただ、二人のメディア論的ヴィジョンはずいぶん異なっていることに注意しなければならない。

マクルーハンの言う「グーテンベルク・ギャラクシー」においては、個人が印刷された文字列を黙読して内面で理解し、そこで熟考したことを主体的メッセージとして公共空間に発出する、それが相互検証・相互批判による熟議につながる―少なくともそういう建前になっていた。対して、ポストグーテンベルク時代のマルチメディア・ネットに覆われた「グローバル・ヴィレッジ(地球村)」は、モダンな都市ではなく、プレモダンな村のポストモダンな回帰と言っていいかもしれない。そこでは音や映像まで含めた情報が飛び交って地球を覆い、人々は公私の別なくその情報の海に浸るようになるのだ。ただし、マクルーハンの予想と違って、ポストグー
テンベルク・ギャラクシーとしてのネットは、ひとつの「グローバル・ヴィレッジ」というより、それぞれかなり閉鎖的な多数のローカル・ヴィレッジズ に分解してしまった(地域別にも関心領域別にも)。とくに最近問題化しているのは、個々の村が 「エコー・チェンバー(共鳴室)」と化して、たとえばドナルド・トランプのような人の声高なさえずり(tweet)をひたすら増幅するという傾向であり、そこでは村ごとにそれぞれの「事実」(alternative fact)や「真実」(post-truth)があることになる。むろん、データ・ベースと検索エンジンの拡大・進歩により、情報のフローがストックされ、ほぼリアルタイムの検証も可能になってきたが、現状ではそれがあまり効果をあげておらず、「エリート・メディア」の「都市」と、それを「フェイク・ニュース」として信じない大衆の「村々」の分裂を呼んでいるように思われるのだ。21世紀に入って逆に猖獗をきわめるようになったポピュリズムは、そうしたメディアの変容なしには考えられない。

ここであらためて注目されるのが、マクルーハンとは対極的なグールドのヴィジョンと実践である。彼にとって、電子メディアは、スタジオという密室の孤独の中で純粋な音楽を研ぎ澄ましながら、なおリスナーとのコミュニケーションを保つ―というより、いっそう深いコミュニケーションを持つための手段に過ぎなかったのだ。マクルーハンがカトリック系だったのに対し、グールドはあらゆる意味でピューリタン的であり、彼にとって最も重要だったJ・S・バッハが主にプロテスタンティズム系の作曲家だったことを思い出しておこう。

もちろん、グールドは、何よりもまず音楽家であり、その遺産は純粋に音楽として聴かれるべきものだ。しかし、ポピュリスティックな単純化・幼児化とそれが可能にするホットな盛り上がりから限りなく遠いその音楽を聴きながら、マルチメディア・ネットを真の意味でのクール・メディアとして使いこなすためのヒントを探るというのも、いまグールドを聴き直すことのもうひとつの意味と言えるのではないだろうか。